2009年7月 9日 (木)

面白きこともなき......。

  マッカーサーのこと書いたけど、歴史上好きなもう一人の人物はって言うと、「高杉晋作」です。

  晋作の有名な言葉、「おもしろきこともなき世をおもしろく.....。」

  
高杉晋作って何した人?有名な割にわかりにくいんだよね。
  「奇兵隊」を作った人?そうなんだけど、終わりの頃には奇兵隊からも離れてゆくんだよね。

  維新の志士としては、珍しく高禄の出身なんだよね。まっ、どっちかと言うと「超、わがままなお坊ちゃんでした。
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  子供の頃、煩った「疱瘡」のため、顔はあばた顔で、身長もあまり高くなく、そう言った、コンプレックスに加えて生来の負けず嫌いから、跳ねっ返りで、超プライドの持ち主であったようです。


  でも、吉田松陰は彼の非凡さを見抜き、かわいがって育てます。







  で、結局、何したかって言うと、アナーキスト、デストロイヤー、革命児でした。世の中が、尊皇攘夷から開国主義、公武合体と傾きかけるのを尊皇攘夷、倒幕の姿勢を貫き、揺り戻します。

  外国公館を焼き討ちしたり、下関海峡で、外国船に戦争を仕掛けたり、それを幕府のせいにしたり、藩が穏健派に傾きかけると、敢然と立ち上がってクーデターを起こしたりします。

 「おもしろきこともなき世をおもしろく....。」の句はそんな彼の生き方そのものです。

 そんな彼も肺結核を患い、下関の「東行庵」で闘病生活を送りますが、わずか27歳でこの世を去ります。

 彼の辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく....。」に看病していた野村望東尼がすみなすものは心なりけりとつけ加えたたと言われてます。
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 下関に残っている「東行庵」です。

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2009年7月 2日 (木)

老兵は死なず

  最近、リタイアが近くなって、思い出す言葉に「老兵は死なず、ただ消えるのみ」って言葉があります。
  この言葉は太平洋戦争の連合軍最高司令官で日本でもGHQ最高司令官だった
ダグラス・マッカーサー元師の言葉です。

    マッカーサーは、朝鮮戦争でも国連軍最高司令官となりますが、彼は北朝鮮との国境を挟んだ中国国内を、徹底的に空爆することと、「原爆の使用」を再三にわたり本国に要求します。
  その結果、彼はトルーマン大統領から解任されます。

  彼は退官に当り最後の演説を、アメリカ議会において、大統領をはじめ政府、軍の関係者、上院下院の全議員を前に行いました。
  その演説の最後を、『老兵は死なず、ただ消え去るのみ。』と締め括り、歴史に残る名言となりました。

 格好いいですね~。

 
戦争技術屋」の彼は、もう自分の時代ではないことを感じ取ります。

  英語も格好いいです。

  ”Old soldiers never die; they just fade away”

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 でも、「戦争技術屋」の彼は生涯戦い続けたのではないでしょうか? 
  

 

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2009年6月25日 (木)

不調です。

  このブログも、いつの間にか8,885ヒットになりました。1万ヒットが、目標です。
  でも、最近カメラの調子も悪いし、やる気も起こらないし、不調です。

  私の日本縦断計画は、今年は鹿児島と山形の番なので、来月の連休には山形に行く予定です。
  例によって、資料だけは取り寄せ、飛行機とホテルの予約だけは、してあるんですけど、まだ、観光のスケジュールは立てていません。(≧∇≦) なんのこっちゃ。

  今度の休日には、カメラを買いに行って、先ず一番始めに、撮りたいのは、
”アジサイ”です。
  近所の”額アジサイ”が凄っく綺麗なんです。

  ふわぁー。眠たい。

  

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2009年6月24日 (水)

カメラが壊れちゃった

 カメラの調子がおかしいんです。この前、ウォーキング大会に参加したときに撮ってから。
 こんなになっちゃうんです。
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  白っぽくなってしまうんです。

  最初、霧の日だからかって思ったんですけど。近くをとっても同じなんです。





  別の日にとってもこうなんです。
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  白っぽくなって、すだれみたいなのが入っているんです。









  インターネットで調べてみると、何年かたつとこうなるやつがあるんだって。修理代に何万円もかかるので、買い換えた方が良さそうです。

  チッキショー!

 
カメラがないと、楽しみが一つなくなります。今度の旅行までには、何とかしなくっちゃ。

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2009年6月23日 (火)

宍道湖

    少し前の写真ですけど、綺麗に撮れた宍道湖の写真を少しアップします。
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  春の日の夕方に、高層ビルの最上階から撮ったものです。

  

    続いてもう一枚。
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  この日は雲があって、夕日が見えなかったんですけど、水面が静かできれいでした。









朝の通勤時に撮った写真です。
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 春の朝、空気が素晴らしく澄み切って、きれいでした。

  続いて夕日の写真を貼ります。
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 宍道湖の夕日も季節や見る場所によって、違うんですけど、この場所も好きです。

もう一枚。
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  きれいな風景を見ながらドライブが通勤者の楽しみになっています。

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2009年6月14日 (日)

ウォーキング大会に参加してみました。

  昨日の土曜日、ウォーキング大会に参加してみました。出雲市の十六島(島ではありません、ウップルイと読む地名です。)でありました。
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   地元の人や他の市町からもたくさん参加してました。

  受付で、氏名を書いて、コースの地図やなんかを貰います。




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  9時の開会までにぞくぞく集まってきて、結局、220人の参加者だったそうです。








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 みんなで準備体操をします。色とりどりの服装です。

 結構、慣れた人も多いみたいでした。





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 地元中学校のブラスバンドに送られて出発です。








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  子供から大人、老人まで、まさに老若男女でした。

  親子連れ、夫婦連れが多かったです。





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  いやあ、220人の行進は壮観でした。

  全長9kmを2時間半のウォーキングです。







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  どんどん山の中に入って行きます。

  ウォーキングと言うよりは、「難民の群」っていう感じです。(失礼!!)





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  こんなとこにもバス停が。みんなびっくりして見ています。








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 時刻表も撮ってみました。日に6便で、土日は3、4便です。

 冬の夕暮れかなんか、待つのはつらいでしょうねぇ。




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  こんなところにお稲荷さんが!

  でも、下には「妙本寺」って書いてあったぞ。

  山の中だから、お寺も神社も兼ねているのでしょうか。



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  1時間少々たったところで、霧が出てきました。上り坂なので、足がそろそろくたびれてきました。

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  頂上付近にこんなものがありました。これなんだか分かりますか。

 戦時中の施設で、「聴音濠(ちょうおんごうと言ってこの中に入って、飛行機の音をキャッチするんだそうです。



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  レーダー代わりだそうです。嘘みたいでしょう。








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  2時間近くがたちました。下り坂になりましたが、みなさん相当にお疲れのようです。








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  きちんと並んでた列も切れ切れです。









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  ゴールすると磯汁の無料サービスがありました。

  みなさん並んで待ちます。





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  みなさん、持参した弁当を食べます。

  この磯汁、色々な貝や海草が入ってて凄くおいしかったです。お代わりした人もいました。

  土曜日のリクレーションとしては、ほんと楽しめました。





  

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2009年6月 8日 (月)

大連(最終)

  大連旅行の最終観光は「203高地」でした。旧市街地から北西2kmほどのところにある。「海抜203メートルであることからこの名が付けられた。」そうです。
  映画で見たイメージだと「禿げ山」だったので、実際に見たときは意外でした。
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  行楽地になっていた「丘」でした。
  この日は、観光客が一杯でした。







 

  現在も中国海軍軍事施設に含まれており外国人の立ち入りは禁じられてきたが、1990年平成2年)頃から水師営と共に観光客に開放されるようになった。
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  203高地の忠魂碑です。文化大革命で先尖部分が破壊されたが、のちに復元されたそうです。

  ガイドさん曰く「中国人には屈辱の歴史だけど、それを忘れないためにこうした戦争遺産を残しています。」



 
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  遠くに旅順港が見えます。

  旅順郊外から旅順港停泊中のロシア艦隊に砲撃しようとする際、弾着を観測する兵を配置するのに最適な場所でした。






  
日本軍とロシア軍の間で争奪戦が行われ、多くの死者を出した。11月にこの戦場に来た日本陸軍第7師団(旭川)はわずか5日間で1万5千人ほどの兵力が1千人にまで減ったそうです。
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  異国の地で死んだ人は残念だったでしょうね。

  乃木将軍の長男と次男もここで死んでいます。






  防戦側に立ったロシア側の被害も大きく、ありとあらゆる予備兵や臨時に
海軍から陸軍へ移された水兵までもがこの高地にて命を落とした。
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  今、ここを訪れる観光客は何を思っているのでしょうね。









  
1904年12月5日に日本軍が占領し、永野修身海軍大尉が指揮した陸上からの砲撃でロシア東洋艦隊を壊滅させた。これ以降、旅順要塞側の抵抗は衰えていき、1905年(明治38年)1月1日、ロシア側の司令官ステッセルは降伏し、旅順を開城することになります。
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  こうやってみると旅順港は、まさに要害です。









  203高地の下の方はちょうど桜祭りの真っ最中でした。
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2009年6月 3日 (水)

大連8

 日清戦争が終わってから、1898年に帝政ロシアは強制的に大連、旅順を租借します。
 1900年から地元の中国人を拉致して、ロシア軍は旅順の周辺に約20キロ余りの軍事防御線を築きました。
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  説明しているのは、ガイドの「白雪(ハクセツ)」さんです。中国読みは聞いたけど、忘れました。

  5歳の女の子のお母さんで、モンゴルの近くの方が故郷だそうです。






  幅10m、深さ6mの塹壕で守られ、重機関銃と30門の大砲も設置してあったそうです。セメント、石ともちこめで建てられて、厚さは1.5mだったそうです。
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 基地の入り口です。  

 玄関、軍官室、電話室、弾薬倉庫、兵舎などを備えており当時、ロシア兵士は約300人が守備していたそうです。
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  でも、こんなのよく残してるよね。明治時代だよ。
  しかもにっくき敵が尊い中国人の犠牲の上に作った遺物だよ。






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  兵舎跡だそうです。元は、2段になってたんだって。

  でも、夏熱く、冬寒かったでしょうね。

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  う~ん。こんなの映画でみたことあるね。

  と思ってたら、「それ、後から作った偽物よ!」







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  土塁の内側です。

  ガイドさんからクイズが出されました。
 「銃口は、何故、味方側を向いているのでしょう?」

 答えは、土塁を越えて降りてきた敵を撃つんだそうです。


  夥しい日本兵が撃たれたそうです。
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  もう100年以上たってます。

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  どこにでも土産物屋はありますねぇ。

  でも、中国の人ってあんまりしつこく勧めません。日本語も英語も分からないからなのかもしれません。  

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2009年5月28日 (木)

大連7

  次に行ったのは、「東鶏冠山」のロシア軍の堡塁跡です。ここは、外国人は許可がないと入れないと言ってました。
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  その割には、外国人が多かったし、観光土産物屋が多かったですよ。









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  「旅順の日露戦争陳列館」と書いてありました。

 「俄」が「ロシア」って言う意味なんだそうです。
 なぜなのか忘れました。






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 日露戦争を説明しているジオラマなんですけど、中国語で書いてあってよく分かりませんでした。

 上の方にある旅順港を手に入れるためには高台を制する必要があるために日露軍は血みどろの戦いをする訳です。

 右上の方が「203高地」です。



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 このおじいさんが日本語でとても上手く説明してくれるんです。

 後で、ガイドさんに聞いた話ですけど、こんな
70歳前後の人は、戦前に「日本語教育」を受けているために、日本語の話せる人が多いんだそうです。



 


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  左の方が日本軍の大砲の玉で、右の方がロシア軍の物だそうです。日本から運んだ、この大砲が戦争を制したそうです。
  私も珍しく、感心して愛国心が沸いてきました。
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  見学者はロシア人、中国人、日本人とバラバラでした。

 説明の女性が「ミリタリールック」ってのが面白かったです。

 でも、中国人のアベックって、人前で結構、ベタベタしてるんですね。



  ああ、もうだめ!木曜日は!お休み!

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2009年5月27日 (水)

大連6

  翌日は、大連から50km程離れた「旅順」に行きました。
  ここは、天然の良港があって、ロシア軍と日本軍の超激戦を展開したところです。
  
  こんな歌をご存じでしょうか?
  
  旅順(りょじゅん)開城(かいじょう) 約成(やくな)りて
  敵の将軍 ステッセル 乃木大将と会見の
  所はいずこ 水師営


  で、最初に行ったのがこの「水師営」です。
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 抜けるような青空の良い天気でした。
 
 でも、後ろの方のビルが邪魔でした。

 






   庭に一本(ひともと) 棗(なつめ)の木
    弾丸あとも いちじるく
    くずれ残れる 民屋(みんおく)

     今ぞ相(あい)見る 二将軍
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   これがナツメの木だそうです。

 う~ん。ちょっとね。
 今、枯れる季節かね。

 とても明治何十年からある木とは、思えませんでした。





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 「崩れ残れる民屋」と言うのがこれなんですけど、何代か立て直したみたいですね。

 赤い服の立ってる女性が色々説明してくれたんだけど、何にも買わなかったので。機嫌が悪かったです。







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  初代の看板らしいけど、片隅においてありました。









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  2将軍が会談したテーブルだそうです。

  これは当時のままだってけど、その割にはほったらかしって感じでした。







   昨日(きのう)の敵は 今日の友
   語ることばも うちとけて
    我はたたえつ かの防備
     かれは称えつ わが武勇


   両将昼食(ひるげ)共にして
    なおもつきせぬ物語
     『我に愛する良馬(りょうば)
あり
      今日の記念に献ずべし
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  これがその良馬だそうです。

  出身(と言うのかな?)が鳥取県赤碕町だそうで、私の故郷に近いんで感激しました。


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