松本清張記念館を訪ねて
小倉にある松本清張記念館を訪ねた時のことです。城の近くにあります。小倉駅から歩いて10分から15分くらいかな?城を目指して行けば直ぐ分かります。
右上にJR小倉駅があります。駅を出て、繁華街を斜め右の方へ城を目指して行けば、大体、分かります。
北九州市立だから、小倉城、庭園、記念館の三館共通で700円で、お徳です。
でも、この記念館をじっくり見ると、清張の凄さが分かるよ。
一階は清張の生涯の年賦や時々のニュース映像、作品群が展示してあります。
そして、二階は、書斎や書庫、応接室なんかが再現してあります。
この書庫が凄いの、2階建てが2、3棟あったかな?
図書館みたいでした。
松本清張は、小倉で生まれて41歳の時に「西郷札」って言う小説を書き始め、81歳で死ぬ直前まで書き続けたんだって。絶筆が「神々の乱心」だそうです。
スッゴイね。「生涯現役」なんて言葉が超安っぽく聞こえるね。
父・松本峯太郎は鳥取県日南町の出身だそうです。
「幼少時に米子市の松本家に養子入りした。」とあります。
「青年期に広島に出奔、書生や看護雑役夫などをする。」
「当地で広島県賀茂郡志和村(現在の東広島市志和町)の農家の娘で紡績工場で働いていた母・岡田タニと知り合い結婚。」だそうです。
「父母は当時日露戦争による炭鉱景気に沸く北九州に移ったものらしい。」
お父さんも、波乱に飛んだ人生だったんだね。
でも、日南町に行ったり、清張の「砂の器」なんか読むと、清張はお父さんの故郷を意識していたのでは?って気がするよ。
清張の凄さは、徹底したリアリズムの追及だと思うんだよね。そのためには現場を丹念に取材するんだね。その土地の生活や言葉まで、徹底的に調べてから、書斎に閉じこもって書いていたんだって。
「虚構であれば、あるほど正確な描写が必要」 う~ん。素晴らしい。
清張は旧制中学進学をあきらめ、高等小学校から電気会社の給仕となります。
後に印刷工を経て、朝日新聞の版下画工として働くようになったとあります。
文学好きな工員たちとの交際や読書を通じて文学に傾倒して行ったようです。
プロレタリア文学を読み、小倉警察署に赤狩りで検挙されたりもしたとありました。
そして朝日新聞の正社員となり、41歳の時に「週刊朝日」の小説募集に3位、入選したそうです。
「自分は時事的問題に常に関心を持った。」
「事実に対する探究心と旺盛な行動力」
徹底した「現場取材」
綿密な「資料調査」
正確な「状況描写」
な~んて、ちょっと失礼かも。
清張は外国にも取材旅行に行っているけど、写真や下のような絵も残しています。
そう言えば、清張は若い頃、「広告デザイナーを志し、国鉄の観光ポスターに応募、入選した」とありました。
一芸に秀でた人は何でも上手いんだね。
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