中原中也(少年期)
中也のことを、もう少し書きたくなったので、つきあって下さい。
中也は、「生ひ立ちの歌」と言う詩でこんなことを書いています。
生ひ立ちの歌
幼年時
私の上に降る雪は 真綿のようでありました
少年期
私の上に降る雪は 霙(みぞれ)のやうでありました
17ー19
私の上に降る雪は 霰(あられ)のやうに散りました
20ー22
私の上に降る雪は 雹(ひょう)であるかと思われた
23
私の上に降る雪は ひどい吹雪と見えました
24
私の上に降る雪は いとしめやかになりました.......。
中原中也は、明治40年4月29日。陸軍軍医であった柏村謙助、母フク(中原家養女)の長男として生まれます。
「中原家にとっては数十年ぶりの嗣子の誕生でした。周囲は喜びに沸き、盛大な誕生祝いは3日に及んだ」そうです。(なんか分かる気するな~。)
1歳4ヶ月の中也だそうです。
生誕地は「山口市湯田温泉」です。
今、記念館が建っています。
中也は、生まれて半年後に旅順に渡り、山口に帰っって半年後、2歳になる少し前に広島に行きます。そして5歳のとき、父謙助の転任によって、金沢に引っ越します。
中也は、広島・金沢時代に3人の弟の兄になります亜郎、恰三、思郎の3人です。
そして7歳の時、父謙助の朝鮮転任を期に、母子は山口の生家に戻り、中也は小学校に入学します。
「中也は親の期待に応えようとなんでもよくやり、よくできる、優等生の中也。そして早熟だった。」
「神童と呼ばれていた。」
「中也は長兄としての期待も大きく、ひとに厳しすぎると指摘されるほどにしつけをしていた。」
小学校4年生の時の図画です。
右の方は、画像が悪くてごめんなさい。
母フク「あの子は絵を描いても、ものをはっても綺麗なものでした。」
なんでもよくできたけど、特に習字が良くできたそうです。
尋常小学校3年生の時の習字です。
びっくりでしょう。絶対、私より上手いよ。
このときも、運命的な出会いがあります。教生・後藤信一です。後藤は中也を可愛がり、授業が終わるといつも寄宿舎に連れて帰ったそうです。
中也は「詩的履歴書」の中で後藤との出会いを、「詩の好きな教生に出会う、恩師なり」と位置づけている。
後藤も「中也さんをあんなに文学好きにしたのは、僕にも罪がある。」と言ってたそうです。
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コメント
突然のコメント失礼致します。
この度 弊社で企画・制作致します舞台、
『中也が愛した女』 のご案内をさせて頂きたく
不躾ではありますがコメントさせて頂きました。
誠に勝手で申し訳ございませんが、ブログを
読ませていただき、関心を持っていただければと、
投稿いたしました。
下記URLが「中也が愛した女」のサイトです。
http://www.chuyagaaishitaonna.com/
ご興味がありましたら是非お越しくださいませ。
このようなコメントが失礼に当たりましたら大変申し訳ございません。
何卒御容赦くださいませ。
投稿: 『中也が愛した女』 事務局 | 2009年3月17日 (火) 12時43分
久しぶりにコメントです。中也に心酔していたころを思い出します。小林秀夫、長谷川泰子との交流なども本を探して読んでいました。中也は心のなかにどうしようもない?深い悲しみを持った人だと感じていたように思います。10年位前山口の中也記念館にも行ってみました。懐かしい思い出です。また、久しぶりに訪れてみようと思います。
投稿: kaze | 2009年7月16日 (木) 13時07分
コメントありがとうございました。中也の熱烈なフアンの方に読んでいただいて光栄です。
山口はきれいで、落ち着いた町ですので、私も機会があればまた行ってみたいと思っています。
また、京都や東京の中也ゆかりの地も行って、別の中也をレポートしてみたいと思っています。
また、よろしくお願いします。
投稿: michi | 2009年7月16日 (木) 23時43分