大連8
日清戦争が終わってから、1898年に帝政ロシアは強制的に大連、旅順を租借します。
1900年から地元の中国人を拉致して、ロシア軍は旅順の周辺に約20キロ余りの軍事防御線を築きました。
説明しているのは、ガイドの「白雪(ハクセツ)」さんです。中国読みは聞いたけど、忘れました。
5歳の女の子のお母さんで、モンゴルの近くの方が故郷だそうです。
幅10m、深さ6mの塹壕で守られ、重機関銃と30門の大砲も設置してあったそうです。セメント、石ともちこめで建てられて、厚さは1.5mだったそうです。
基地の入り口です。
玄関、軍官室、電話室、弾薬倉庫、兵舎などを備えており当時、ロシア兵士は約300人が守備していたそうです。
でも、こんなのよく残してるよね。明治時代だよ。
しかもにっくき敵が尊い中国人の犠牲の上に作った遺物だよ。
兵舎跡だそうです。元は、2段になってたんだって。
でも、夏熱く、冬寒かったでしょうね。
う~ん。こんなの映画でみたことあるね。
と思ってたら、「それ、後から作った偽物よ!」
土塁の内側です。
ガイドさんからクイズが出されました。
「銃口は、何故、味方側を向いているのでしょう?」
答えは、土塁を越えて降りてきた敵を撃つんだそうです。
夥しい日本兵が撃たれたそうです。
もう100年以上たってます。
どこにでも土産物屋はありますねぇ。
でも、中国の人ってあんまりしつこく勧めません。日本語も英語も分からないからなのかもしれません。
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