大連(最終)
大連旅行の最終観光は「203高地」でした。旧市街地から北西2kmほどのところにある。「海抜203メートルであることからこの名が付けられた。」そうです。
映画で見たイメージだと「禿げ山」だったので、実際に見たときは意外でした。
行楽地になっていた「丘」でした。
この日は、観光客が一杯でした。
現在も中国海軍の軍事施設に含まれており外国人の立ち入りは禁じられてきたが、1990年(平成2年)頃から水師営と共に観光客に開放されるようになった。
203高地の忠魂碑です。文化大革命で先尖部分が破壊されたが、のちに復元されたそうです。
ガイドさん曰く「中国人には屈辱の歴史だけど、それを忘れないためにこうした戦争遺産を残しています。」
遠くに旅順港が見えます。
旅順郊外から旅順港停泊中のロシア艦隊に砲撃しようとする際、弾着を観測する兵を配置するのに最適な場所でした。
日本軍とロシア軍の間で争奪戦が行われ、多くの死者を出した。11月にこの戦場に来た日本陸軍第7師団(旭川)はわずか5日間で1万5千人ほどの兵力が1千人にまで減ったそうです。
異国の地で死んだ人は残念だったでしょうね。
乃木将軍の長男と次男もここで死んでいます。
防戦側に立ったロシア側の被害も大きく、ありとあらゆる予備兵や臨時に海軍から陸軍へ移された水兵までもがこの高地にて命を落とした。
今、ここを訪れる観光客は何を思っているのでしょうね。
1904年12月5日に日本軍が占領し、永野修身海軍大尉が指揮した陸上からの砲撃でロシア東洋艦隊を壊滅させた。これ以降、旅順要塞側の抵抗は衰えていき、1905年(明治38年)1月1日、ロシア側の司令官ステッセルは降伏し、旅順を開城することになります。
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